1. エグゼクティブ・サマリー(結論ファースト)
- 投資スタンス:弱気 (Bearish)
- 確信度: 70%
- 3行サマリー:
- 何が起きたのか: 2026年3月期1Qは、曳船事業の値上げ効果で赤字幅を大幅に縮小したものの、成長分野と位置付ける海事関連事業の先行投資が重く、営業赤字が継続した。
- なぜそれが重要なのか: 増収を達成しながらも、投下資本利益率(ROIC)が極めて低い水準に留まっており、成長投資が企業価値創造に結びついていない「利益なき成長」の罠に陥っている可能性が高い。
- 次に何を見るべきか: ①曳船事業の料金改定効果の通期での完全な浸透度、②コスト増を吸収して海事関連事業が四半期黒字化を達成できるか、③株主価値を意識した資本効率性改善への具体的な経営施策の有無、の3点を注視する必要がある。
- 主要カタリスト(ポジティブ要因)
- 料金改定効果の想定以上の上振れ: 2025年5月から実施した曳船・エスコート作業料率の値上げが、想定以上に利益率を改善させる可能性。
- 海事関連事業(CTV)での大型・長期案件の獲得: 現在の建設フェーズの作業に加え、より収益性の高いO&M(運用・保守)フェーズでの長期契約を獲得し、稼働率と収益性を安定化させる。
- 株主還元強化・資本効率改善策の発表: 潤沢な純資産と手元資金を活用した追加の自己株取得や増配、非効率資産の売却など、PBR1倍割れ脱却に向けた具体的な施策の発表。
- 主要リスク(ネガティブ要因)
- 自動車船需要の急減: 主要顧客である自動車メーカーの工場閉鎖 や世界的な景気後退による自動車輸送量の減少が、曳船事業の収益を圧迫するリスク。
- 海事関連事業の収益化の遅延: 競争激化やコスト増により、洋上風力発電交通船(CTV)事業が損益分岐点に到達する時期が遅れ、投資回収が長期化するリスク。
- 個人消費の低迷長期化: 物価上昇が続き個人消費が冷え込むことで、旅客船事業の観光需要がさらに落ち込み、同セグメントの赤字が拡大するリスク。
2. 事業概要とビジネスモデルの深掘り
東京汽船は、主に3つの事業セグメントで構成される海事サービス企業である。
- ①曳船(タグボート)事業: 収益の柱であり、東京湾内の主要港(横浜、川崎、東京、横須賀、千葉)で大型船の入出港を補助するハーバータグや、航路の安全を確保するエスコートタグを提供する。
- ②海事関連事業: 今後の成長ドライバーと位置づけ、洋上風力発電所の建設やメンテナンス(O&M)作業員を輸送するCTV(Crew Transfer Vessel)の運航を国内外で手掛ける。
- ③旅客船事業: 横浜港での観光船(現在は持分法適用会社へ移管)や、東京湾フェリー(久里浜〜金谷)を運航する。
ビジネスモデルの評価:安定と成長のジレンマ
同社の収益モデルは、各事業の特性を反映して以下のように数式化できる。
- 売上高 = (曳船事業: Σ(各港の入出港隻数 × 隻あたり単価)) + (海事関連事業: Σ(CTV隻数 × 稼働日数 × 日あたり用船料)) + (旅客船事業: Σ(航路別旅客数 × 平均客単価 + 船内売上))
【強みと脆弱性】
強み (Strengths) | 脆弱性 (Weaknesses) |
参入障壁の高い曳船事業: 港湾事業は免許や設備、長年のノウハウが必要で、特定港での寡占状態を維持しやすい。 | 景気・荷動きへの依存: 曳船事業の収益は、コンテナ船や自動車船の荷動きに大きく左右される。 |
成長市場への先行投資: 洋上風力という国策として推進される成長分野にCTV事業で参入し、将来の収益源を育成中。 | 利益なき成長リスク: 海事関連事業は売上急増も、用船料や減価償却費の負担が重く赤字が継続。投資が利益に繋がるかは不透明。 |
高い財務健全性: 自己資本比率74.9%という強固な財務基盤が、事業の安定性と投資余力を支えている。 | 低収益・低効率な資本構造: ROICが極めて低く、PBRも1倍を大きく下回る水準。資本効率に対する経営意識が問われる。 |
競争環境: 曳船事業は、日本郵船系や商船三井系といった大手海運会社の系列企業が各港で高いシェアを握る寡占市場であり、同社は東京湾で確固たる地位を築いている。一方、成長分野のCTV事業は、国内外から新規参入が相次ぎ、競争が激化しつつある。ここでは技術力や運航実績、コスト競争力が差別化の鍵となる。
3. 【最重要】業績ハイライトと徹底的な財務分析
P/L分析:見せかけの改善か、本質的な転換か
項目 | 2025年3月期 1Q | 2026年3月期 1Q | 増減額 | 増減率 |
売上高 | 2,858 | 3,416 | +558 | +19.5% |
売上総利益 | 341 | 501 | +160 | +46.9% |
粗利率 | 11.9% | 14.7% | +2.8pt | – |
営業損失 (△) | △137 | △11 | +126 | – |
経常利益 (△) | △13 | 114 | +128 | – |
親会社純利益 | 289 | 60 | △229 | △79.2% |
(単位: 百万円)
売上高は、海事関連事業の大幅な伸長と曳船事業の堅調な推移により、前年同期比で19.5%の大幅増収を達成した。注目すべきは営業利益であり、赤字ながらも損失額を126百万円圧縮した。しかし、親会社純利益が大幅減益となっているのは、前年同期に3.4億円の固定資産売却益という特殊要因があったためであり、一過性の要因を除いた実態は改善傾向にある。
【必須】営業利益ブリッジ分析:利益改善の真の立役者は「値上げ」
前年同期の営業損失(-137百万円)から当期の営業損失(-11百万円)への変動要因(+126百万円)を分解すると、同社の利益構造の変化が鮮明になる。
- ① 売上数量/ミックス変動効果: +66百万円
- (当期売上高 3,416 – 前期売上高 2,858) × 前期粗利率 11.9%
- 海事関連事業の売上急増が大きく貢献したが、利益率の低い事業の拡大が中心であったことが示唆される。
- ② 価格/原価率変動効果: +96百万円
- 当期売上高 3,416 × (当期粗利率 14.7% – 前期粗利率 11.9%)
- これが利益改善の最大の要因である。2025年5月からの曳船・エスコート料金の値上げ が粗利率を2.8ポイント改善させ、利益を押し上げた。
- ③ 販管費変動: △34百万円
- 人件費増などが要因とみられ、売上増に伴い増加している。
【結論】 営業損失の圧縮は、本業の数量増よりも価格転嫁(値上げ)に大きく依存している。これは経営努力として評価できる一方、今後の成長を牽引すべき海事関連事業が、まだ利益貢献どころかコスト増要因となっている実態を浮き彫りにしている。
B/S分析:高い安全性と裏腹の運転資本の非効率性
総資産は309億円、自己資本比率は74.9%と極めて高い財務安全性を誇る。しかし、その内実をCCC(キャッシュ・コンバージョン・サイクル)で分析すると、課題が見えてくる。
- 売上債権回転日数 (DSO): 64.7日
- (売掛金 2,455百万円 ÷ 1Q売上高 3,417百万円) × 90日
- 棚卸資産回転日数 (DIO): 4.8日
- (棚卸資産 155百万円 ÷ 1Q売上原価 2,915百万円) × 90日
- 仕入債務回転日数 (DPO): 28.6日
- (仕入債務 926百万円 ÷ 1Q売上原価 2,915百万円) × 90日
- CCC = DSO + DIO – DPO = 64.7 + 4.8 – 28.6 = 40.9日
売上を上げてから現金を回収するまでに約41日を要する計算となる。特にDSOが2ヶ月以上と長く、売上増に伴い運転資本が増加し、キャッシュフローを圧迫する構造となっている。売掛金が前年度末から3.3億円増加している点 は、単なる売上増だけでなく、回収サイトの長期化や与信管理のリスクについて注視が必要である。
キャッシュフロー(C/F)分析
当四半期はキャッシュ・フロー計算書が作成されていない。しかし、B/Sの現金及び預金が期首から6.7億円減少していること、主な要因として期末配当金の支払い(約4.4億円)があったこと を考慮すると、営業活動で生み出すキャッシュが投資や財務活動のキャッシュアウトを十分に賄えていない可能性が高い。減価償却費が4.4億円と大きい ため営業CFはプラスと推測されるが、運転資本の増加がそれを相殺している構図が考えられる。
資本効率性の評価:深刻な低ROIC、企業価値破壊の懸念
【必須】ROIC vs WACC 企業の真の収益力を示すROIC(投下資本利益率)は、看過できないレベルまで低下している。
- ROIC(投下資本利益率) ≈ 0.4%
- NOPAT(税引後営業利益): 通期予想営業利益138百万円 × (1 – 税率30%) = 97百万円
- 投下資本: 純資産 24,215百万円 + 負債 6,685百万円 – 現金及び預金 7,225百万円 = 23,675百万円
- ROIC = 97 ÷ 23,675 = 0.4%
一方、WACC(加重平均資本コスト)を保守的に見積もっても、このROICを大幅に上回ることは確実である。
- WACC(加重平均資本コスト) ≈ 4-5% (推定)
- 株主資本コスト(rE)をCAPM(β=0.8、リスクプレミアム=5.5%、Rf=1.0%と仮定)で計算すると約5.4%。負債コスト(rD)を約2.0%とすると、WACCは4-5%レンジと推計される。
ROIC (0.4%) << WACC (4-5%) という関係は、同社が事業活動を通じて株主と債権者の期待収益率を賄えず、企業価値を破壊している可能性が極めて高いことを示唆している。これは投資家にとって最も深刻な懸念材料である。
デュポン分解: ROEの低さも、この資本効率の悪さを裏付けている。当1Qの純利益ベースのROE(年換算)は1%未満と極めて低い。これは、純利益率の低さに加え、総資産回転率の低さ(多くの資産を保有しながら売上を十分に生み出せていない)に起因する。
4. 【核心】セグメント情報の徹底解剖
セグメント名称 | 売上高(百万円) | (前年同期比) | 営業損益(百万円) | (前年同期損益) |
曳船事業 | 2,307 | +11.6% | 27 | (△69) |
海事関連事業 | 650 | +225.4% | △25 | (△85) |
旅客船事業 | 458 | △22.2% | △22 | (12) |
その他・調整 | – | – | △21 | (△4) |
全社合計 | 3,416 | +19.5% | △11 | (△137) |
(単位: 百万円)
- 曳船事業:値上げ効果で黒字転換、唯一の利益柱 全ての地区で増収を達成し、特に料金改定が奏功して96百万円の損益改善を果たし、黒字転換した。現在の同社グループの利益を唯一支える屋台骨であり、このセグメントの安定性が全体の業績を下支えしている。
- 海事関連事業:売上3倍増も、依然として赤字 CTVの稼働増により売上は3倍以上に急増した。しかし、用船料や減価償却費といったコスト増を吸収できず、依然として25百万円の営業損失を計上。売上増が利益に全く結びついていない「利益なき成長」の典型例であり、ROICを押し下げる最大の要因となっている。収益化への道筋は依然不透明だ。
- 旅客船事業:事業再編の渦中で大幅減益 横浜港の観光船事業を持分法適用会社へ移管したことで、売上・利益ともに大幅に減少した。事業ポートフォリオの見直しは長期的には必要だが、短期的には業績の重荷となっている。
ポートフォリオ・マネジメントの評価: 経営陣は「安定の曳船」「成長の海事」「再編の旅客船」というポートフォリオを描いているが、現時点では各セグメント間のシナジーは限定的であり、むしろ成長事業の投資負担が安定事業の利益を食いつぶしている構図だ。セグメント変更は事業実態を反映したものだが、この新体制でいかにして全社的な収益性と資本効率を向上させるか、経営手腕が厳しく問われる。
5. 経営計画の進捗と経営陣の評価
同社は2026年3月期の通期連結業績予想として、売上高12,739百万円(前期比+5.8%)、営業利益138百万円を掲げている。
- 進捗率(1Q終了時点):
- 売上高: 26.8% (3,416 / 12,739)
- 営業利益: マイナス (△11 / 138)
1Q終了時点で営業利益の進捗がマイナスであるにもかかわらず、同社は業績予想を据え置いた。経営陣は、①2025年5月からの料金改定効果が2Q以降本格的に寄与すること、②下期の季節要因などを拠り所にしていると推測される。
経営陣の判断に対する評価: この据え置き判断は、楽観的過ぎると言わざるを得ない。通期計画を達成するには、残り3四半期で約1.5億円の営業利益を稼ぐ必要がある(1Qの赤字11百万円の補填を含む)。これは1四半期あたり約5,000万円の営業利益が必要な計算だ。1Qで2,700万円の利益を出した曳船事業が好調を維持したとしても、赤字の海事関連事業と旅客船事業が大幅に改善しない限り、達成は困難である。特に、海事関連事業の建設案件が上半期で終了する ことを考えると、下期の売上・利益は不透明だ。
需要予測の甘さや、株主との対話において希望的観測を優先している可能性も否定できない。リスク要因(自動車船の減少懸念など)を認識しつつも、計画を修正しない姿勢は、かえって市場の信頼を損なうリスクを孕んでいる。
6. 将来シナリオと株価のカタリスト/リスク
今後12~24ヶ月の業績について、3つのシナリオを提示する。
- 基本シナリオ (50%): 通期計画を未達で着地
- 曳船事業の値上げ効果が貢献するも、自動車船の需要減や海事関連事業の収益化の遅れが響き、営業利益は会社計画(1.38億円)を下回る5,000万円~1億円程度に着地。ROICは僅かに改善するも、WACCを依然として下回る。
- 強気シナリオ (20%): 海事関連事業の黒字化で計画超過
- 曳船事業が好調を維持する中、海事関連事業で想定外の大型O&M案件を獲得。CTVの稼働率が劇的に改善し、下期からセグメント黒字化を達成。全社営業利益は計画を上回る2億円超となり、ROIC改善への期待が高まる。
- 弱気シナリオ (30%): 複数事業の不振で再び営業赤字
- トランプ政権の通商政策などの影響で自動車船需要が急減し、曳船事業の利益が吹き飛ぶ。海事関連事業は赤字が継続、個人消費の低迷で旅客船事業の赤字も拡大。通期で再び営業赤字に転落し、株価は低迷を続ける。
7. バリュエーション(企業価値評価)
- 相対評価法:
- PER: 4.8倍(2025/8/13時点)。通期EPS予想(492.95円) が極端に高いため(経常利益に持分法投資利益が多く含まれるため)、参考にならない。
- PBR: 0.42倍(株価994円 ÷ BPS 2,373.23円)。純資産を大幅に下回る評価であり、市場が同社の資産から将来の収益を生み出す能力を極めて低く評価していることを示す。これはROICがWACCを下回っている現状と整合的である。典型的な**「バリュー・トラップ(万年割安株)」**の様相を呈している。
- 絶対評価法 (簡易DCF):
- 現在のROICがWACCを大幅に下回っている状況では、将来のフリーキャッシュフローの成長を楽観的に見積もることは困難である。
- 仮に永久成長率(g)をゼロとしても、現在の企業価値を正当化するのは容易ではない。これは、市場が同社の将来の価値創造能力に対して懐疑的であることを示唆している。理論株価は、資本効率の劇的な改善シナリオを織り込まない限り、現在の株価を上回ることは難しいだろう。
8. 総括と投資家への提言
【結論】 東京汽船は、安定した曳船事業を基盤に、洋上風力という成長分野へ投資する変革の途上にある。しかし、その成長投資は現時点で全く利益に結びついておらず、むしろ投下資本に対するリターンを悪化させる重荷となっている。ROICがWACCを大幅に下回る「価値破壊」の状態にある可能性が極めて高く、PBR 0.4倍台という市場の評価は、その厳しい現実を反映したものだ。
経営陣は業績予想を据え置くが、その達成確度は低いと判断せざるを得ない。成長ストーリーは魅力的だが、その実現に向けた具体的な収益化への道筋と、株主資本を効率的に活用するという意識が、現在の開示情報からは見えてこない。
【投資家への提言】 明確な「弱気」スタンスを推奨する。
現在の株価はPBRで見れば割安に見えるが、これはROICの低さを反映した結果であり、安易な買いは「バリュー・トラップ」に陥るリスクが高い。投資を検討するには、以下の点が明確に確認されるまで待つべきである。
- 最重要KPI:
- ROIC(投下資本利益率)の改善: ROICがWACC(推定4-5%)を上回る具体的な道筋が示されること。
- 海事関連事業の四半期営業黒字化: 「利益なき成長」から脱却できるかどうかの試金石。
- CCC(キャッシュ・コンバージョン・サイクル)の短縮: 運転資本管理の効率化が進んでいるかの指標。
投資家は、目先の増収や小幅な利益改善に惑わされることなく、同社が資本コストを上回るリターンを生み出す、真の価値創造企業へと変貌できるのか、その本質的な変化を見極める必要がある。その兆候が見えない限り、積極的な投資は推奨できない。