1. エグゼクティブ・サマリー(結論ファースト)
- 投資スタンス:中立 (Neutral)
- 確信度:60%
- 第1四半期の大幅減益は深刻だが、最悪期は脱しつつある可能性も示唆される。しかし、根本的な収益性改善とキャッシュ創出能力の証明には時間を要するため、現時点では積極的な投資を推奨するには至らない。株価はプライム市場上場維持基準への期待感で下支えされる一方、ファンダメンタルズの脆弱さが上値を抑える展開を想定する。
- 3行サマリー:
- 何が起きたのか: 2026年3月期第1四半期決算は、売上高が前年同期比6.2%減の58.6億円 に留まった一方、円高進行と原価上昇が直撃し、営業利益は同54.8%減の1.6億円 と半減以下に沈んだ。
- なぜそれが重要なのか: 営業利益率が5.8%から2.8%へ と急落した主因は、粗利率の大幅な悪化にある。これは、同社のビジネスモデルが市況変動や為替に極めて脆弱であることを露呈しており、ROIC(投下資本利益率)がWACC(加重平均資本コスト)を大幅に下回る「価値破壊」状態が続いていることを示唆する。
- 次に何を見るべきか: 経営陣が「解消され始めている」 とする在庫調整の真の進捗度合い。具体的には、①粗利率の四半期ごとの回復ペース、②高水準で推移する棚卸資産の削減、③不振の日本市場における収益性改善、の3点が本格的な業績回復を見極める上での試金石となる。
- 主要カタリストとリスク:
- ポジティブ・カタリスト(強気材料)
- 在庫調整の早期完了と需要回復: 半導体市況が想定を上回るペースで回復し、特にAI関連や車載向けでバックログが積み上がる展開。
- 円安への回帰と価格転嫁の成功: 為替が再び円安方向に振れ、かつ原材料コスト上昇分を製品価格へ着実に転嫁できることで、粗利率が急回復するシナリオ。
- 戦略的提携の具体化: PANJIT社への子会社持分譲渡 が、生産効率化や財務改善に直結する有利な条件で妥結され、具体的なシナジー効果が示されること。
- ネガティブ・カタリスト(弱気材料)
- 需要低迷の長期化: 世界経済、特に中国市場の減速が続き、民生・産業機器分野での需要回復が遅れ、在庫調整がさらに長期化するリスク。
- 継続的な利益率圧力: 競争激化による製品単価の下落圧力が続き、コスト削減努力を打ち消す形で低収益性が定着するシナリオ。
- 財務規律の緩み: 業績が低迷する中で、運転資本の効率化が進まず、追加の借入金に依存する状況が続き、財務リスクが高まること。
- ポジティブ・カタリスト(強気材料)
2. 事業概要とビジネスモデルの深掘り
トレックス・セミコンダクターグループは、「ファブレス」のトレックス本体と、「ファウンドリ」の子会社フェニテックセミコンダクターという二つの異なるビジネスモデルを両輪とする、ユニークなポジショニングを築いている 。
- トレックス・セミコンダクター(本体):
- ビジネスモデル: アナログ電源ICの企画・開発・販売に特化したファブレスメーカー 。生産は外部のファウンドリに委託する。収益の源泉は、独自の「省電力・小型化」技術 にあり、これにより付加価値を生み出す。
- 強み:
- 技術的優位性: 400nAという超低消費電流を実現する製品 など、ニッチながらも世界トップクラスの技術力を持つ 。
- 顧客密着型開発: マーケティングと製品企画力を強みとし、顧客ニーズを製品開発に迅速に反映させる体制を構築している 。
- 脆弱性:
- 価格競争: スマートフォンなどの民生機器向け汎用品は、市況の悪化局面で激しい価格競争に晒される。
- ファブレス故の限界: 生産を外部に依存するため、需給が逼迫した際の生産キャパシティ確保や、コスト管理の柔軟性に制約が生じることがある。
- フェニテックセミコンダクター(子会社):
- ビジネスモデル: ディスクリート、パワーデバイス、CMOSアナログプロセスなどの半導体受託専門事業(ファウンドリ)を展開 。
- 強み:
- 国内生産拠点(Japan Fab): 岡山の2工場と鹿児島の1工場 という国内生産基盤を持ち、高品質と長期安定供給を求める顧客(特に車載向けなど)から評価されている 。
- 次世代半導体への対応: SiC(炭化ケイ素)やGa2O3(酸化ガリウム)といった次世代パワー半導体のファウンドリ受託に積極的に取り組んでおり 、将来の成長ドライバーとなるポテンシャルを秘めている。
- 脆弱性:
- 高い固定費: 自社工場を保有するため、減価償却費や人件費といった固定費負担が重い。工場の稼働率が損益分岐点を下回ると、急激に収益が悪化する。
- 投資負担: プロセス微細化や新材料への対応には継続的な設備投資が不可欠であり、これがキャッシュフローを圧迫する要因となる。
- グループ全体での評価: トレックスの「設計・企画力」とフェニテックの「製造基盤」の融合は、理論上、製品開発のリードタイム短縮や、特殊プロセスの共同開発といったシナジーを生み出す可能性がある 。しかし、今回の決算は、市況悪化という逆風下で、両社の脆弱性が同時に露呈した格好となった。ファブレスの弱みである価格競争と、ファウンドリの弱みである稼働率低下のダブルパンチが、利益を直撃したと分析できる。
3. 【最重要】業績ハイライトと徹底的な財務分析
P/L分析:利益構造の脆弱性が露呈
第1四半期 連結経営成績 (単位: 百万円) | 勘定科目 | 2025年3月期 1Q | 2026年3月期 1Q | 前年同期比 | | :— | :— | :— | :— |
| 売上高 | 6,251 | 5,865 | -6.2% |
| 売上総利益 | 1,851 | 1,439 | -22.3% |
| 粗利率 | 29.6% | 24.5% | -5.1pt | | 販管費 | 1,486 | 1,274 | -14.3% |
| 営業利益 | 365 | 165 |
-54.8%
| | 営業利益率 | 5.8% | 2.8% |
-3.0pt |
| 経常利益 | 340 | 64 | -81.1% |
| 親会社株主に帰属する四半期純利益 | 83 | 35 | -56.9% |
【必須】営業利益ブリッジ分析(前年同期比 △200百万円の分解)
前年同期の営業利益365百万円からの変動要因を定量的に分解すると、減益の核心が鮮明になる。
- 売上数量/ミックス変動要因(約△114百万円):
- 売上高が386百万円減少 。前年同期の粗利率29.6%を適用すると、これだけで約114百万円の利益押し下げ要因となる。
- 価格/原価率変動要因(約△299百万円):
- これが最大の減益要因である。 粗利率が5.1ptも悪化したことが、利益を大幅に蝕んだ。決算説明資料では「為替の影響と原価の上昇」 が指摘されている。
- 為替影響: 平均為替レートは1ドル=156.5円から145.1円へと、11.4円もの円高が進行 。海外売上高比率が70.6% である同社にとって、円建ての売上・利益が大きく目減りしたことは想像に難くない。
- 原価上昇: 継続する原材料費やエネルギーコストの上昇分を、製品価格へ十分に転嫁できていない可能性が高い。これは、同社の価格決定力の弱さを示唆している。
- 販管費変動要因(+213百万円):
- 販管費は1,486百万円から1,274百万円へと、212百万円もの大幅な削減を実現している 。これは「業務改善による経費抑制の取組み」 の成果であり、唯一のポジティブ要因である。しかし、粗利率の悪化をカバーするには至らなかった。
結論として、販管費削減という懸命な努力も空しく、為替とコストという外部環境の逆風、そしてそれに抗しきれない価格決定力の弱さが、営業利益を半減させた構図が明確である。
B/S分析:キャッシュ創出力に黄信号
【必須】運転資本の分析(CCC:キャッシュ・コンバージョン・サイクル)
企業のキャッシュ創出力を測るCCCは、極めて長い水準にあり、改善の兆しは見られない。これは構造的な課題である。
- 売上債権回転日数 (DSO): 63.0日 (前年同期 59.4日) – 悪化
- 棚卸資産回転日数 (DIO): 133.3日 (前期末比 ほぼ横ばい) – 高止まり
- 仕入債務回転日数 (DPO): 17.4日 (前年同期 14.5日) – 改善
CCC = 63.0 + 133.3 – 17.4 = 178.9日
180日近いCCCは、製品を仕入れてから現金化するまでに半年近くを要することを意味する。特にDIOの長さは深刻である。棚卸資産は64.8億円 と、Q1の売上高58.6億円を上回る規模で滞留している。経営陣は「在庫調整もようやく解消され始めてきている」 と述べているが、貸借対照表上はその兆候はまだ明確ではない。これらの在庫が将来の需要減速によって陳腐化するリスクは、常に念頭に置く必要がある。
また、CCCが長期化する中で、運転資金を賄うために有利子負債は前期末から7.7億円増加し、137.5億円 に達した。D/Eレシオも0.74倍から0.81倍に悪化 しており、財務レバレッジが高まっている点は注意を要する。
資本効率性の評価:深刻な「価値破壊」状態
【必須】ROIC(投下資本利益率) vs WACC(加重平均資本コスト)
同社が株主や債権者から調達した資本を使って、どれだけ効率的に利益を生み出しているかを測るROICは、資本コストであるWACCを大幅に下回っており、企業価値を破壊している状態にある。
- 投下資本 (IC): 約307億円(有利子負債 137.5億円 + 純資産 169.7億円 )
- NOPAT (税引後営業利益): 会社計画ベースで約2.4億円(営業利益4億円 × (1 – 実効税率 約40%))
- ROIC = 2.4億円 / 307億円 ≒ 0.8%
- WACC (加重平均資本コスト):
- 株主資本コストをキャップレートモデル等から7.0%と仮定。負債コストを1.0%と仮定。
- WACC ≒ 4.1%
ROIC (0.8%) « WACC (4.1%)
この結果は、同社が事業活動を通じて株主の期待リターンを全く満たせていないことを示しており、プライム市場の上場維持基準である「流通株式時価総額」が未達であることの根本原因 と言える。ROE(自己資本利益率)も会社計画ベースでわずか1.7%程度と低迷しており、収益性の抜本的な改善が待ったなしの状況である。
4. 【核心】セグメント情報の徹底解剖
地域別セグメントを見ると、業績の濃淡がより鮮明になる。
報告セグメント別業績(外部顧客への売上高ベース) (単位: 百万円) | セグメント | 売上高 | YoY | セグメント利益 | YoY | 利益率 | | :— | :— | :— | :— | :— | :— |
| 日本 | 4,044 | -6.5% | 109 | -61.8% | 2.7% |
| アジア | 1,361 | -5.3% | 29 | +29.5% | 2.1% |
| 欧州 | 287 | -21.1% | 28 | +14.6% | 9.8% |
| 北米 | 172 | +39.8% | 13 | 黒字転換 | 7.6% |
| 合計 | 5,865 | -6.2% | 181 | | | | 調整額等 | – | | -16 | | |
| 連結営業利益 | | | 165 | | |
- 日本:最大の懸念材料
- 全社売上の約7割を占める日本事業が、利益を前年同期比で6割以上も減らしており、全体の足を引っ張る最大の要因となっている 。一般民生機器分野の販売減少 が主因であり、市況悪化の影響を最も強く受けている。利益率も2.7%と極めて低い。
- アジア・欧州:減収増益の謎
- アジア、欧州ともに減収ながら増益を達成している 。これは、不採算案件からの撤退や、より付加価値の高い製品(欧州では医療機器 )へのシフトが進んでいる可能性を示唆する。特に欧州の利益率9.8%は突出しており、ポートフォリオマネジメントが機能していると評価できる。
- 北米:唯一の成長エンジン
- 産業機器向けが牽引し、売上高が約4割増と急成長、黒字化を達成した 。まだ規模は小さいものの、今後の成長を牽引する重要な市場としての期待が高まる。
- ポートフォリオ・マネジメントの評価: 地域ポートフォリオという観点では、不振の日本への依存度を下げ、好調な北米や高収益な欧州の比率を高めていくことが急務である。経営陣が各地域の市場特性に応じた戦略を的確に実行し、ポートフォリオのリバランスを成功させられるかが問われている。
5. 経営計画の進捗と経営陣の評価
会社は、今回の厳しい第1四半期決算を受けても、2026年3月期の通期業績予想(売上高255億円、営業利益4億円)を据え置いた 。
- 進捗率の評価:
- 売上高の進捗率は23.0%と、単純計算(25%)を下回る。
- 営業利益の進捗率は41.3%と、大幅に上回っている 。
- 経営陣の判断と評価: 利益の進捗率が高いのは、前述の通り販管費の大幅な抑制 によるものであり、本業の儲けを示す粗利は計画に対して厳しい状況にある。この状況で計画を据え置いたということは、経営陣が以下の点に自信を持っている表れと解釈できる。
- 下期のV字回復: QoQ(前四半期比)では売上・利益ともに改善しており 、「在庫調整の底打ち」は本物で、下期にかけて受注と売上が急回復すると見込んでいる。
- 粗利率の改善: 下期には為替の安定やコスト削減効果の発現、高付加価値製品の比率向上により、粗利率が回復軌道に乗ると想定している。
6. 将来シナリオと株価のカタリスト/リスク
今後12ヶ月の業績は、半導体市況、特に在庫調整の動向に大きく左右される。
- 基本シナリオ(確率50%):会社計画の達成
- 前提:在庫調整が緩やかに進展し、下期から民生・産業機器の需要が回復。粗利率は26〜27%程度まで改善。
- 業績:売上高255億円、営業利益4億円。
- トリガー:世界経済のソフトランディング、主要顧客からの安定した受注。
- 強気シナリオ(確率20%):想定を上回る回復
- 前提:在庫調整がQ2で完了し、AIサーバーやデータセンター、車載向けで想定以上の需要が発生。円安が再進行(1ドル=150円以上)。
- 業績:売上高265億円、営業利益8億円。
- トリガー:新製品(SiCデバイス等 )の大型採用、PANJIT社との提携による具体的なコスト削減効果の発現。
- 弱気シナリオ(確率30%):二番底のリスク
- 前提:中国経済の失速が本格化し、世界的な需要後退へ。在庫調整が長期化し、価格競争が激化。粗利率は24%台で低迷。
- 業績:売上高240億円、営業利益は赤字転落。
- トリガー:地政学リスクの高まりによるサプライチェーンの混乱、主要顧客の生産調整。
7. バリュエーション(企業価値評価)
低収益性と将来の不確実性から、株価は割高とも割安とも判断し難い、難しい局面にある。
- 相対評価法:
- 同社の予想PERは、低すぎる利益水準を反映して異常値となるため参考にならない。PBR(株価純資産倍率)は1倍を割り込む水準で推移しており、解散価値を下回る評価となっている。これは市場が同社の将来の収益性に極めて悲観的であることを示している。
- 競合他社と比較しても、ROICやROEといった資本効率性の指標で大きく劣後しており、プレミアムがつく状況にはない。プライム市場の上場維持基準を満たしていない という特殊要因も、株価のディスカウント要因として働き続けるだろう。
- 絶対評価法(簡易DCF):
- 現状のROICがWACCを大幅に下回っているため、理論株価の算出は困難を極める。仮に将来的にROICがWACCと同程度まで改善するという楽観的な前提を置いたとしても、FCF(フリー・キャッシュフロー)創出への道のりは遠い。
- 設備投資計画(年間27.4億円 )が減価償却費(年間20億円 )を上回る状況が続く限り、営業CFの多くが投資CFに吸収され、株主価値の源泉となるFCFはマイナスが続く可能性が高い。
- したがって、バリュエーションはファンダメンタルズではなく、需給や市場心理に左右されやすい状況にある。
8. 総括と投資家への提言
トレックス・セミコンダクターは今、深刻な正念場を迎えている。第1四半期決算は、同社のビジネスモデルが内包する「市況変動への脆弱性」と「低い資本効率性」という二つの根深い課題を浮き彫りにした。
- 核心的な投資魅力: 長期的な視点では、トレックス本体が持つ省電力・小型化というニッチトップの技術力と、子会社フェニテックが推進するSiCパワー半導体 や広島大学との共同研究 といった次世代技術への取り組みは、将来の成長ポテンシャルを秘めている。この「ファブレス×ファウンドリ」のシナジーが本格的に発揮されれば、企業価値は大きく変貌する可能性がある。
- 最大の懸念事項: しかし、足元ではROICが資本コストを大幅に下回る「価値破壊」が続いており、これを反転させる具体的な道筋は見えていない。CCCの異常な長さはキャッシュ創出力の欠如を示し、財務的な脆弱性を増している。経営陣の楽観的な業績見通しと、市場環境の現実との乖離も懸念される。
- 投資家への提言と注目KPI:投資スタンスは「中立(Neutral)」とする。 QoQでの改善の兆しは評価するものの、持続的な回復を確認するまでは、新たな投資を手控えるのが賢明である。 今後の株価動向を判断する上で、投資家は以下のKPIを徹底的に監視すべきである。
- 粗利率の四半期推移: 最重要指標。25%の壁を越え、20%台後半へと回復できるか。
- 棚卸資産回転日数(DIO): 在庫削減が実行できているかのバロメーター。120日を下回る水準への改善が最初の目標となる。
- 日本セグメントの利益率: 全体の足を引っ張る最大事業の収益性改善なくして、全社の本格回復はない。
- プライム市場維持基準への具体的施策: 会社が掲げる「収益性の向上」 が単なるお題目に終わらず、ROIC改善に繋がる具体的なアクション(不採算事業の見直し、資産売却など)が示されるかに注目する。
今は嵐が過ぎ去るのを待つ時である。雲の切れ間から力強い日差しが差し込むのか、それとも次の嵐が訪れるのか。その答えは、今後の四半期決算が示す数字の中にしかない。